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大阪高等裁判所 昭和56年(う)727号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一六〇日を原判決の刑に算入する。

理由

〈前略〉

弁護人の控訴趣意二(訴訟手続の法令違反の主張)について

論旨は、要するに、原審の最終公判期日(第一〇回公判)において原審弁護人水野武夫弁護士が同期日に行われた証拠調の結果を検討したうえで弁論を行いたいとの理由で公判期日の続行を求めたところ、原裁判所が立会検察官の異動予定を理由に右期日をもつて結審したいとして水野弁護人に最終弁論を命じたので、同弁護人は、やむをえず、弁論の詳細は追つて後日書面で提出するとの約束のもとに正午直前になるまでの約一〇分間口頭で弁論の骨子だけを述べた、ところが、原裁判所は、水野弁護人との右約束を無視して、同弁護人の弁論の終了後結審のうえ直ちに原判決の言渡しをした。原裁判所のとつたかかる措置は実質的に原審弁護人の弁論の機会を奪つたものというべく刑訴規則二一一条に違反しているというのである。

そこで検討するのに、記録及び当審における事実取調の結果によれば、原審公判審理において、被告人、原審弁護人水野武夫弁護士は、本件の被告人の行為は準強盗罪ではなく窃盗罪と暴行罪に当る旨主張して公訴事実を全面的に争うとともに、被告人の捜査官に対する供述調書の証拠能力についても捜査官から暴行を加えられたうえで録取されたものであるから任意性がない旨主張して争つて来たこと、原裁判所は、第一回公判(昭和五五年一二月九日)に被告人の同意のあつた現行犯逮捕手続書、被害届、被害現金の押収関係書類、実況見分調書、身上調査照会回答書、他人照会結果復命書、前科調書等を、第五回公判(昭和五六年二月九日)に任意性立証関係の書証として被告人の捜査官に対する弁解録取書二通と勾留質問調書をそれぞれ取調べたほか、第四回公判(昭和五六年一月二六日)に被害者の吉田肇を取調べ、第五回公判及び第六回公判(昭和五六年二月一九日)に任意性立証関係の証人として西成警察署の警察官三名(南宣治、山崎弘、橋本剛造)の取調べを終わつており、水野弁護人は、第八回公判(昭和五六年三月一六日)に臨むにあたり、同公判で被告人質問を終了したうえ結審する見通しをもつていたこと、ところが、第八回公判において検察官から犯行現場に近い南海電車岸ノ里駅付近における被告人と被害者の言動を立証するとして同駅の駅員である岸谷清の証人尋問の請求がなされ、右請求に対し水野弁護人から本裁判はすでに長期に亘つており被告人の勾留期間も長くなつているので被告人質問の後すみやかに結審されたい、裁判の最終段階に至つて犯行を目撃したわけではない岸谷清を取調べる必要はない旨意見が述べられたが、原裁判所は、一応被告人質問を終了し、岸谷清を証人として採用して次回に喚問する旨決定したこと、第九回公判(昭和五六年三月一九日)には岸谷清が勤務の都合で在廷することができなかつたため公判が延期され、第一〇回公判(昭和五六年三月二五日午前一〇時三〇分)に岸谷清の証人尋問が行われ、同人は、犯行当日午後一〇時一二分着の電車から降りた被告人と被害者吉田肇の両名がホーム、駅舎南側の便所などで揉み合つていたこと、その様子がおかしいので改札係の伊守某が警察に電話したこと、被告人と吉田が便所から出て来て改札口を出てもまだ揉み合つているので、伊守と一緒に両名を駅舎の中に入れて分けたこと、両名は午後一〇時三〇分ころに駅舎から出て行つたが、間もなくして吉田が金を盗られたといつて一人で駅舎に戻つて来たことなど大筋において吉田肇の証言を裏付ける供述をしたが、岸谷の右証言中、被告人と吉田の両名が岸谷らによって駅舎の中に入れられて分けられ、かなりの時間が駅舎内にとどまつたという事実は、それまでに取調べられた吉田肇の供述、被告人の供述等にも現れていない新たな事実であり、岸谷の証言によつて初めて明らかにされたものであつたこと、岸谷の取調の後、検察官から被告人の暴行と給料袋の窃取との先後関係及び被告人が吉田に申し向けた脅迫文言の点について吉田肇の第四回公判における証言と同人の検察官調書(第一回公判前に原審弁護人に開示ずみである。)との間に相違点があるとして吉田の検察官調書につき刑訴法三二一条一項二号後段、三〇〇条に基づいて取調べ請求がなされ、右請求に対し、水野弁護人から右検察官調書には相反性、特信性がない旨意見が述べられたが、原裁判所は吉田の検察官調書を採用し、水野弁護人からなされた右採用決定に対する異議申立を棄却して証拠調を終了したこと、証拠調が終わつた後、直ちに検察官に論告を命じ、検察官が予め準備し作成してあつた同日付(昭和五六年三月二五日付)の論告要旨に基づいて論告求刑を行つた後、水野弁護人から同日行われた証拠調の結果についても検討したうえで弁護を行いたいから最終弁論は次回にされたい旨希望が述べられたが、原裁判所裁判官において、「なんとか今日弁論していただけませんか、書面は後でも結構です。」と述べて、同弁護人に対して弁論するように促したところ、同弁護人は、原裁判所が同弁護人において後日若干の補足説明を加えて提出する書面を見たうえで判決してくれるものと考えて同公判期日に弁論をすることとし、午前一一時四五分ころから陳述を始め、その陳述の内容は、当日行われた証拠調の結果をも折り込んだものであり、被告人の行為は窃盗罪と暴行罪をもつて処断さるべきこと、被害者の供述の信用性、被告人の供述調書の任意性その他情状に至るまで本件における論点のすべてに触れたものであつたが、ただ同日取調べた岸谷清の証言によつて被害者吉田肇の供述の信用性を弾劾する部分、被告人の供述調書の任意性について争う部分などについては「この点は書面で詳述する」と述べながら陳述を進めて、昼休み時間が近付いた午前一一時五七、八分ころ自ら陳述を終えたこと、原裁判所は、水野弁護人の書面で詳述する旨の右陳述を黙認したまま同弁論を聴取し、その陳述終了後被告人の最終陳述を聴いて結審したが、その後直ちに判決宣告手続に移り被告人に原判決を言渡したこと、右判決宣告手続に際し水野弁護人から積極的に異議が述べられた事実はないが、その理由は、原裁判所が右のように即決することはもとより同弁護人の予期に反することであり、同弁護人も一瞬即決は困ると発言しようと考えたが、即決するということは執行猶予の裁判だなと思い直して黙つていた、というにあること、昭和五六年四月一日ころ水野弁護人から同年三月二五日付の弁論要旨が原裁判所に提出されたが、右弁論要旨の論点は第一〇回公判において同弁護人が弁論として陳述したところと同趣旨であつて新たに付け加えられた事項はなく、若干の補足的説明が加えられていたにとどまることなどを認めることができる。

ところで、弁護人が公判廷において最終弁論を行うに際し、弁護人から公判廷における陳述に若干の補足的説明をも加えた弁論要旨(書面)を後日提出することとしたい旨の申し出がなされた場合、裁判所は、当該事案の内容、争点、審理の経過等の情況を考慮したうえ、陳述時間を節約し、あるいは弁論の趣旨をより明白にするとともにその内容を記録上正確に表現しておくなどの目的で、これを許可して結審することが多く、その場合には、結審後相当期間弁護人からの弁論要旨の提出されるのを待ち、弁論要旨が提出されたときにはこれを見たうえで判決を言渡すのが実務の慣行である。

そして、前記のように、本件が被告人において公訴事実を全面的に争つている否認事件であること、すでに相当長期に亘つて審理がなされて来たうえ、結審当日(第一〇回公判)にも検察官請求の証人一名と被害者の検察官調書が取調べられたこと、右証人尋問の結果従来の審理に現われていない事実であつて被害者の供述の信憑性に影響のある事実が明らかとなつたため、弁護人の立場からは、結審当日の右証拠調の結果をも踏まえた最終弁論の必要が生じたと認められることなどにかんがみると、前記のように、原裁判所が水野弁護人に対し書面の提出は後日でよい旨を告げ、かつ弁論中数点について後日書面で詳述する旨の同弁護人の陳述を黙認したまま結審したのは、前記の実務慣行に従い、結審後に若干の補足的説明を加えた書面を提出することを許可したものと解され、そうである以上、原裁判所としては相当期間内に水野弁護人が提出する弁論要旨を見たうえで判決すべきものであつて、原裁判所がかかる措置に出ることなく水野弁護人の前記公判廷における陳述を聴いただけで結審後直ちに原判決を言渡して即決したことは、水野弁護人の弁論の一部を聴かないで判決したにも等しいものであるといわねばならない。

しかし、水野弁護人において弁論をなしえた時間が一〇数分あり、その間になされた陳述の内容は、前記のとおり、後日書面において補足する意図で詳述を避けた点があつたにせよ、本件における論点のすべてについて触れたものであつたことに加え、前記の本件事案の内容、その争点、審理の経過と内容等をも併せて考察すると、原裁判所の前記措置は、いまだ水野弁護人の意見陳述に関する本質的権利を害するものでないと認められ、所論のように実質的に水野弁護人の弁論の機会を奪うものでもないから、所論のいう刑訴規則二一一条のほか刑事訴訟法二九三条二項に違反して違法であるとまでは認められない。

さらに、所論にかんがみ検討してみても、原判決の訴訟手続に所論のような法令違反はない。論旨は理由がない。(以下、省略)

(石松竹雄 岡次郎 竹澤一格)

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